日本大学歯学部は、東京都千代田区神田駿河台にあり、近くには明治大学、中央大学、日本大学理工学部、神田川を挟んで東京医科歯科大、順天堂大学医学部がありました。
本郷3丁目には東京大学もあり友人が赤門の近くに下宿していたこともあり、よく遊びに行きました。
昭和52年に山形から上京した田舎物の青年にとって、当時の学生街、神田本屋街、高校時代から、聞いていたJAZZファンにとって余りにも刺激が多く、未だに私の原点は御茶ノ水にある気がします。
大学に入学したら、絶対にサッカー部に入部しようと思っていました。ところが入学前の大学のオリエンテーションに行くバスの中で、広島出身の隣の友人と親しくなり、気がついたら日本拳法部という聞いたこともないクラブに誘われ、いつのまにか新入部員の勧誘をしているしまつ。何とか卒業まで有段者になり、4・5年の時は副主将を務め卒業。未だに後輩の試合の応援に駆けつけ、当時を思い出し元気をもらってきます。
6年生のインターン時代は、神経の治療を行なう科(歯内療法科)にクラブのOBの先生が多く勤務しており、御指導頂き症例数も多く、持ち前の器用さから作った技工物も、誰よりも上手に作れたと思います。
「就職」
私が大学5年の頃、私の兄は大学卒業後の、バリバリの新人歯科医でした。仙台市内の歯科医院に勤務していた兄は、セミナーや講演会等が都内で行なわれる度、まだ学生だった私を呼び出しては興味も無く、難しい内容の話を聞かされ、居眠りしていると横から兄に突っつかかれよく起こされる事もしばしば。しかし、そんな大御所の先生の講演会の中で唯一、何ともユニークな発想とジョークを連発し静まり返っていた会場が笑いの渦になるほど面白い講演をなさる先生がいらしたのです。その方こそ、大学卒業後の私が勤務させていただいた續 肇彦先生だったのです。
先生の話は私をすっかりとりこにしてしまいました。大学に戻り、先輩やOBの先生にお聞きした所、多くの本を出されており大変有名な先生であることが分かりました。さらに驚いたことに、ラグビー部だった知り合いの先生が勤務している事が判明し、4年間お世話になりました。
續先生と奥様の紀世先生は御夫婦共同級生の歯科医師で、私達と非常に似た境遇であった為か、家内と勤務医時代から大変お世話になり故丸森賢二次先生との食事に誘って頂いたりした事を懐かしく思う次第です。
續歯科医院では、2年間基礎的な勉強を徹底的に指導して頂き、その後一般的な歯科治療を教えていただきました。まさに、私の現在の礎となっております。
續先生は気さくで気取らない、心が広い好奇心旺盛な笑顔が似合うジェントルマンでした。奥様の紀世先生も気さくな、たいへんな読書家でやさしい先生です。また、續先生には、火曜会、横浜歯科臨床座談会という日本を代表するスタディーグループを紹介して頂き多くの有名な先生の前で研究発表、多くの患者さんの症例のアドバイスを頂きました。
續先生は、一昨年「歯科臨床医のノート40Years」(患者さんのことばに耳を傾け、経過を見つづけて)という本を出版なさい、その出版記念パーティーが横浜市のホテルニューグランドで行われ、家族で出席させて頂きました。
この本からも分かりますが續先生ご夫妻は、患者さんのお口だけを診るのではなく、1人の人間として診る、先生方の診療姿勢で、どんな症例においてもあきらめない熱意と、患者さんを包み込む暖かい人間性で診療を行っておられました。